深夜、人気のないオフィス。蛍光灯の光が、無機質な空間を照らし出す。私は残業に追われ、疲れ果てていた。コーヒーでも飲んで一息つこうと、自動販売機へと足を運んだ。
ゴトン、とコインを入れる音。いつもなら軽快な機械音が響くはずなのに、今日はどこか重く、鈍い音に聞こえた。ボタンを押すと、ガコン、と缶コーヒーが落ちてくる。取り出し口に手を伸ばした瞬間、背筋がゾクリとした。
自販機から、微かな、しかし確かに何かが囁くような音が聞こえたのだ。「…イラナイ…イラナイ…」
気のせいだと思った。疲れているせいだと。しかし、缶コーヒーを手に取ると、その囁きはさらに大きくなった。「ソレ、イラナイ… ホシイノハ…」
周囲を見回したが、誰もいない。まさか、この自動販売機が喋っているのか? そんな馬鹿な、と思いながらも、私は恐怖で身動きが取れなくなっていた。
その時、自動販売機のディスプレイが点滅し始めた。通常は商品の写真が表示されるはずの場所に、奇妙な文字が浮かび上がってくる。「アタラシイ…エサ… ホシイ…」
ディスプレイに表示された文字を理解した瞬間、私は全身の血の気が引くのを感じた。これは単なる自動販売機ではない。何か異質なものが、この機械に憑りついているのだ。
震える手で缶コーヒーを握りしめ、私は逃げ出そうとした。しかし、その時、自動販売機が大きく揺れ始めた。ガシャン! と大きな音を立てて、自販機の扉が開いた。
中から、黒い液体が溢れ出す。それはまるで、粘度の高い油のようだった。そして、その液体の中から、無数の手が伸びてきた。「クレ… モット… クレ…」
絶叫とともに、私は逃げ出した。背後からは、液体が迫ってくる気配がする。必死で走り、オフィスから飛び出した。
翌日、私は会社を休んだ。恐怖で体が震え、一睡もできなかった。あの自動販売機が、今も私を追いかけてくるような気がして、気が休まらない。
数日後、意を決して会社に出社した。あの自動販売機は、どうなっているだろうか? 恐る恐る、いつもの場所に目を向けると、そこには何もなかった。自動販売機は、跡形もなく消え去っていたのだ。
胸をなでおろしたのも束の間、私は背筋が凍り付くのを感じた。自動販売機があった場所に、小さなメモが落ちていたのだ。拾い上げてみると、そこには、歪んだ文字でこう書かれていた。
「オイシカッタヨ。アリガトウ。ツギハ…アナタノ…バン」
私は二度と、会社の自動販売機を利用することはなかった。そして、あのメモは、今も私の財布の中に、お守りのように大切にしまってある。