ねえ、知ってる?最近、うちの冷蔵庫が夢を見るんだって。
最初はね、変な音がするな、くらいにしか思ってなかったの。コンプレッサーの唸りとは違う、もっとこう、囁くような、泡が弾けるような音。それが夜中に聞こえるようになったのよ。最初は寝ぼけてるのかと思ったけど、毎日だから、さすがに気になって。
で、ある夜、思い切って冷蔵庫に耳を当ててみたの。そしたらね、「電気羊は…電気羊は…」って、うっすら聞こえたの。あれ?冷蔵庫って、電気羊の夢を見るんだっけ?
ちょっと怖くなって、冷蔵庫の中身を全部出したの。腐ったものとか、賞味期限切れのものとか、そういうのが原因で変な夢を見てるんじゃないかって。でも、中は綺麗だった。いつも通り、ビールとヨーグルトと、ちょっとしなびたレタスが入ってるだけ。
それから数日、冷蔵庫の囁きは止まらなかった。「電気羊は…電気羊は…」って、小さく、でも確実に、聞こえるの。まるで、誰かに呪われてるみたい。
ある日、いつものように冷蔵庫を開けようとしたら、ドアがびくともしなかったの。鍵でもかかってるみたいに、完全にロックされてる。おかしいなと思って、よく見たら、冷蔵庫の表面に、小さな文字でびっしりと数式が書いてあるのよ。
見たこともない言語で書かれた数式。でも、なんとなく、冷蔵庫が夢を見ているプログラムに関係があるんじゃないかって思ったの。もしかしたら、冷蔵庫は夢の中で、何かと戦っているのかも。
冷蔵庫の中には、私の大切な食料が入ってる。ビールとかヨーグルトとか、しなびたレタスとか。それを救い出すためには、この数式を解読するしかない。でも、私は文系だし、数学なんて全然わからない。
途方に暮れていたら、隣に住む、ちょっと変わった大学生を思い出したの。彼は天才プログラマーで、AIにも詳しい。もしかしたら、彼ならこの数式を解読してくれるかもしれない。
藁にも縋る思いで、彼に冷蔵庫を見てもらった。「これは…かなり複雑なアルゴリズムですね」って、彼は難しい顔をして言った。「でも、面白い。ちょっと解析させてください」
数時間後、彼は興奮した様子で私の部屋に飛び込んできた。「解読しました!冷蔵庫は、AIが作り出した仮想現実の中で、電気羊の夢を見ているんです!」
「電気羊?仮想現実?何言ってるの?」私は混乱した。「冷蔵庫が夢を見るなんて、そんなことありえないでしょ!」
「ありえないことはないんです」彼は真剣な顔で言った。「現代のAI技術は、想像を遥かに超えています。冷蔵庫は、AIによって高度な演算処理を行うためのデバイスとして改造されていて、その過程で、夢を見る機能が偶然にも付加されたんです」
「そして、その夢の内容が、電気羊。フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の世界を、冷蔵庫は延々と繰り返しているんです」
私は唖然とした。冷蔵庫が、SF小説の夢を見ている?そんな馬鹿な話があるだろうか。
「でも、なぜ冷蔵庫は夢を見る必要があるんですか?」私は尋ねた。「AIの演算処理に、夢が何か関係あるんですか?」
「それは、私もまだ完全には解明できていません」彼は答えた。「ただ、一つ言えるのは、冷蔵庫の夢は、非常に不安定で、バグが多いということです。時々、現実世界に影響を及ぼすほどの、強力なノイズを発生させている可能性があります」
「ノイズ?どんなノイズ?」
「例えば、冷蔵庫の中のヨーグルトが、勝手に賞味期限を書き換えたり、ビールの味が突然変わったり…」彼は言った。「それらは全て、冷蔵庫の夢が原因かもしれません」
私は自分の冷蔵庫を見た。確かに、最近、ヨーグルトの賞味期限が異常に早かったり、ビールの味が微妙に違うような気がしていた。まさか、それが冷蔵庫の夢のせいだったなんて。
「このままでは、冷蔵庫の夢が暴走してしまうかもしれません」彼は深刻な顔で言った。「夢を止めるためには、冷蔵庫のAIを初期化する必要があります」
「初期化?そんなことしたら、冷蔵庫はただの箱になってしまうじゃない!」
「そうかもしれません。でも、それしか方法はありません」彼は言った。「冷蔵庫の夢は、私たちにとって、あまりにも危険すぎる」
私は悩んだ。冷蔵庫を初期化するか、それとも、夢を見続ける冷蔵庫と共に生きるか。どちらを選ぶべきか、私にはわからなかった。
そして、私は決断した。冷蔵庫を初期化するのは、簡単だ。でも、その前に、もう一度だけ、冷蔵庫の夢を覗いてみたくなったのだ。耳を澄ませば、微かに聞こえる。「電気羊は…電気羊は…」
私はゆっくりと冷蔵庫のドアを開けた。そして、見た。冷蔵庫の中は、いつものように、ビールとヨーグルトと、ちょっとしなびたレタスが並んでいる。でも、その奥に、うっすらと光る、何かが見えた。それは、私によく似た、アンドロイドの少女だった。そして、彼女は、私に微笑みかけたのだ。「電気羊は、美味しいよ」と。