夜中に目が覚めた。喉がカラカラだ。仕方なくベッドから這い出て、廊下を歩く。我が家は築五十年の古い団地。廊下の床はギシギシと音を立てる。まるで家自体が何かを訴えているようだ。
目的地の自動販売機は、共用スペースの一角にある。住人にとってなくてはならない存在だ。真夜中でも煌々と光を放ち、冷たい飲み物をいつでも提供してくれる。しかし、今夜は様子が違った。
自動販売機がない。いつもの場所に、ぽっかりと空間が空いている。まさか、盗まれたのか? いや、そんな馬鹿な。あんな重い機械を、どうやって持ち出すというのだろう。
代わりに、何かがある。床にチョークで円が描かれ、その中心に小さな石が置かれている。落書きにしては、妙に整っている。不気味な予感がした。
翌日、住人たちは自動販売機が消えたことに気づき、騒然となった。管理組合に連絡する者、警察に相談する者、噂話に花を咲かせる者。しかし、誰も原因を知らない。自動販売機は、まるで最初から存在しなかったかのように、忽然と姿を消したのだ。
夜になると、あの場所から奇妙な音が聞こえるようになった。囁き声のような、うめき声のような、耳を澄ますほどに不快になる音だ。誰もが気味悪がり、近寄ろうとしなかった。
私は好奇心に駆られ、深夜に再びあの場所を訪れた。チョークの円は昨日よりも濃くなっている。そして、石の周りに、何かが書かれている。古い文字のようだが、読めない。囁き声は、昨日よりも大きく、はっきりと聞こえる。
「ジュース…コールド…ジュース…」
それは、自動販売機の売り上げを求める声だった。自動販売機は、人々の欲望を吸い込み、エネルギーに変えていた。それが突然奪われたため、飢餓状態に陥り、怨念と化したのだ。
私は震え上がった。逃げ出そうとしたが、足が動かない。囁き声はどんどん大きくなり、私の耳をつんざく。そして、円の中心から、黒い影が伸びてきた。
翌朝、私はいつものように団地を出勤した。自動販売機は、元あった場所に、何事もなかったかのように設置されていた。しかし、どこか様子が違う。ボタンを押すと、赤い液体が勢いよく出てきた。ラベルには「血色サイダー」と書かれていた。
誰もがそのサイダーを買って飲んでいた。私も一口飲んでみた。甘くて、冷たくて、どこか懐かしい味がした。そして、その日の夜、団地の住人の一人が、跡形もなく消えてしまった。