夜中の三時、眠れなくてトイレに行った。我が家のトイレは、狭いながらも全身鏡がついているのが特徴だ。別にモデル体型でもないし、ナルシストでもない。ただ、なんとなく便利だからという理由で、前の住人が置いていったものをそのまま使っているだけだ。
鏡の中の私は、いつもより少し疲れて見えた。まあ、連日の徹夜続きだから当然だろう。ため息をつきながら顔を洗おうとしたその時、異変に気づいた。
鏡の中のトイレに、見慣れない自販機が立っているのだ。
最初は見間違いかと思った。疲れているせいだろうと。しかし、何度見ても自販機はそこにある。しかも、どこにでもある普通の自販機ではない。古めかしく、錆び付いていて、まるで終末後の世界から持ってきたような、そんな雰囲気を漂わせている。
自販機には、ラベルが剥がれかけた缶ジュースが並んでいる。どれもこれも、見たことのない奇妙な商品名だ。「絶望のソーダ」「後悔のエキス」「虚無のジュース」…。まるで、誰かのブラックジョークのようだ。
好奇心に駆られた私は、鏡に手を触れた。もちろん、鏡はただの平面だ。しかし、触れた瞬間に、奇妙な感覚が走った。まるで、冷たい水の中に手を突っ込んだような、そんな感覚だ。
気がつくと、私は鏡の中にいた。目の前には、あの終末自販機が、現実のものとして存在している。錆び付いた鉄の匂いが鼻をつき、空気はひんやりと重い。まるで、本当に終末後の世界に迷い込んでしまったかのようだ。
周りを見渡すと、荒涼とした風景が広がっている。崩れかけた建物、ひび割れた地面、そして、どこまでも続く灰色の空。まるで、モノクロ映画の世界のようだ。
私は震える手で、自販機に近づいた。そして、一番気になった「虚無のジュース」を選び、コイン投入口に百円玉を入れた。ガチャンという音と共に、冷たい缶ジュースが取り出し口に落ちてきた。
缶ジュースを手に取り、プルタブを開けた。シュワっと音を立てて炭酸が噴き出す。一口飲むと、甘いような苦いような、何とも言えない味がした。まるで、人生の縮図を凝縮したような、そんな複雑な味わいだ。
ジュースを飲み終えると、私は猛烈な眠気に襲われた。気がつくと、地面に倒れ込んでいた。そして、夢を見た。それは、私の過去、現在、未来が混ざり合った、奇妙で曖昧な夢だった。
夢の中で、私は成功と挫折、喜びと悲しみ、愛と憎しみを経験した。そして、最後にたどり着いたのは、虚無感だった。何もかもが無意味に思え、全てがどうでもよくなった。
目が覚めると、私は元のトイレに戻っていた。鏡の中には、あの自販機はもうない。ただ、いつものように、疲れた顔の私が映っているだけだ。
私は缶ジュースを捨てた。そして、二度と鏡を見ないように、トイレの電気を消して部屋に戻った。
しかし、それからというもの、私は時々、あの終末自販機の夢を見る。そして、夢から覚めるたびに、言いようのない虚無感に襲われるのだ。まるで、あの「虚無のジュース」が、私の心に深く根を下ろしてしまったかのように。