夜の帳が下りた街を、一台のタクシーが走っていた。運転手は、もう何年もこの仕事を続けているベテランだった。昼間は眠気をこらえるのが大変だが、夜は夜で、酔っ払いやわけのわからない客に絡まれることが多くて閉口する。それでも、ハンドルを握り続けるのは、生活のためだった。
その夜も、特に変わったことはなかった。いくつかの客を乗せ、目的地まで送り届けた。時計の針が午前零時を回ったころ、無線が鳴った。「〇〇ホテル前、お客様一人」。運転手はため息をつきながら、ホテルへと向かった。
ホテルに着くと、黒いコートを着た男が立っていた。顔はよく見えない。男は無言でタクシーに乗り込むと、低い声で「××墓地まで」と告げた。墓地？こんな時間に？運転手は少し不審に思ったが、客の要望に従い、車を走らせた。
墓地までの道は、街灯も少なく、真っ暗だった。タクシーのヘッドライトだけが、闇を切り裂くように進んでいく。車内は静まり返り、男は窓の外をじっと見つめていた。運転手は、バックミラーで男の顔を盗み見た。やはり、よく見えない。ただ、その目に宿る、異様な光だけが、妙に気になった。
しばらく走ると、墓地が見えてきた。運転手は、墓地の入り口で車を停めた。「ここですか？」と尋ねると、男は無言で頷いた。男は料金を支払うと、タクシーを降り、闇の中へと消えていった。
運転手は、男の姿が見えなくなるまで待ってから、車をUターンさせ、帰路についた。背筋がゾッとするような寒気がした。こんな時間に墓地に行く客なんて、普通じゃない。何か、悪い予感がした。
タクシーは、来た道を戻っていった。しかし、しばらく走ると、運転手は異変に気づいた。さっき通ったはずの道なのに、風景が違うのだ。街灯は消え、建物は古びていた。まるで、別の時代に迷い込んだかのようだった。
運転手は、焦り始めた。GPSを確認しようとしたが、電波が届かない。どうなっているんだ？ハンドルを握る手に、汗が滲んできた。その時、バックミラーに、さっきの男の顔が映った。
男は、ニヤリと笑っていた。そして、口を開き、低い声で言った。「ここは、私が死んだ場所だ」。運転手は、悲鳴を上げそうになった。アクセルを踏み込み、タクシーを加速させた。しかし、タクシーは、どこまでも続く闇の中を、ただ走り続けるだけだった。
運転手は、必死にタクシーを走らせた。しかし、どれだけ走っても、闇から抜け出すことはできなかった。男の笑い声が、車内に響き渡る。運転手は、完全にパニックに陥った。もはや、どこを走っているのかもわからなかった。
その時、タクシーの前に、一台の白いタクシーが現れた。運転手は、藁にもすがる思いで、白いタクシーに近づいた。白いタクシーの運転手は、こちらを振り返り、優しく微笑んだ。「お疲れ様でした。もう、大丈夫ですよ」。
運転手は、白いタクシーに導かれるように、車を走らせた。しばらく走ると、闇が晴れ、元の道に戻ることができた。運転手は、安堵の息をついた。白いタクシーの運転手に、お礼を言おうとしたが、その姿は、もうどこにもなかった。
運転手は、急いでタクシーを車庫に戻し、家に帰った。シャワーを浴び、ベッドに倒れ込んだ。しかし、眠ることはできなかった。あの夜の出来事が、頭から離れないのだ。墓地に行った男の顔、闇の中を走り続けたタクシー、そして、白いタクシーの運転手。すべてが、夢だったのだろうか？
翌朝、運転手は、会社に電話をかけ、休むことを伝えた。そして、あの夜の出来事を、誰かに話したくなった。しかし、誰に話せばいいのだろう？そんなことを話したら、気が狂ったと思われるかもしれない。運転手は、一人で悩んだ。
その夜、運転手は、再びタクシーに乗った。あの夜の出来事を、確かめるために。そして、〇〇ホテル前で、一台のタクシーを停めた。タクシーの中から、黒いコートを着た男が出てきた。男は、運転手に、低い声で言った。「××墓地まで」。運転手は、覚悟を決めて、アクセルを踏み込んだ。幽霊タクシーの、最終乗客は、今日もまた、墓地へと向かう。
