夜の帳が下りた街を、古いタクシーが走る。運転手は顔の見えない男。客を乗せることもなく、ただひたすらに走る。ラジオからは雑音混じりの音楽が流れ、男の孤独を際立たせていた。僕は、そんなタクシーを見かけるたびに、少しだけ胸がざわつくんだ。
ある夜、いつものようにタクシーを走らせていると、背後から声がした。「すみません、乗せてください」。男は振り返った。後部座席には、ぼんやりと光る人影。顔は見えない。いや、正確には、顔があるはずの場所に、ただ闇が広がっているのだ。「どちらまで?」男は尋ねた。声は震えていた。「どこでもいいんです」と人影は答えた。「ただ、遠くまで、連れて行ってください」。
タクシーは走り出した。人影は何も言わず、ただ窓の外を眺めている。男は、バックミラー越しにその姿を伺っていた。闇の中から、時折、光る何かが覗いている。それは、まるで星屑のようだった。「あなたは、一体…」男は尋ねようとした。だが、言葉は喉に詰まって出てこない。「どこまで行くんですか?」やっとのことで絞り出した声は、かすれて震えていた。「星まで」と人影は答えた。「星まで、連れて行ってください」。
男はアクセルを踏み込んだ。タクシーは速度を上げ、街の明かりを置き去りにして、闇の中を突き進む。ラジオの雑音はさらに大きくなり、男の耳を劈いた。ふと気づくと、タクシーは道なき道を走っていた。草原を、山を、そして、空を。タクシーは、空を飛んでいたのだ。人影は静かに笑った。「ありがとう」と人影は言った。「これで、やっと帰れる」。
翌朝、タクシーは人気のない場所にひっそりと停まっていた。運転手の姿はなかった。後部座席には、一枚のメモが残されていた。「星屑は、綺麗だったよ」。そして、タクシーのメーターは、とんでもない金額を示していた。僕は、その話を聞いて、背筋がゾッとした。でも、どこかユーモラスで、少しだけ優しい気持ちになったんだ。だって、星に帰りたい幽霊を乗せて、空を飛ぶタクシーなんて、最高にロマンチックじゃないか。