そのデパートは、夜になると奇妙な噂が絶えなかった。名物である屋上庭園の観覧車は、誰も乗っていないはずなのに、微かに軋む音を立てて回ったり、マネキンが閉店後に勝手に踊り出す、などというものだ。しかし、最も恐ろしい噂は、夢遊病患者だけが体験するという「夢遊病デパート」の存在だった。
私は、その噂に興味を持ち、夜のデパートに忍び込むことにした。警備の目を盗み、エレベーターシャフトから最上階を目指した。冷たい金属の匂いと、微かに響く機械音が、私の心臓を早鐘のように打たせる。
最上階に着くと、そこは昼間の賑やかさとは打って変わって、静寂に包まれていた。月明かりが差し込む窓から、ぼんやりと商品棚が見える。私は懐中電灯を手に、ゆっくりと歩き始めた。
しばらく歩くと、奥の方から微かな音が聞こえてきた。何かが擦れるような、不気味な音だ。私は息を潜め、音のする方へ近づいた。音は、おもちゃ売り場から聞こえてくるようだった。
おもちゃ売り場に足を踏み入れると、そこは異様な光景が広がっていた。無数の人形が、床に散らばり、うつろな目でこちらを見つめている。そして、その中心には、一体のテディベアが立っていた。そのテディベアは、ゆっくりとこちらを向き、赤い目で私を見つめた。
恐怖で体が硬直した。テディベアは、ゆっくりと私に向かって歩き始めた。私は逃げようとしたが、足が動かない。テディベアは、私の目の前まで来ると、小さな口を開き、何かを呟いた。
「探偵さん、いらっしゃい」
その声は、嗄れていて、まるで機械音のようだった。私は、ようやく声を出した。
「あなたは…誰だ?」
テディベアは、ニヤリと笑った。「私は、このデパートの…番人だ」
次の瞬間、テディベアは、私の胸にナイフを突き刺した。痛みは一瞬で、意識は闇に沈んだ。
私が目を覚ますと、そこは見慣れた自分の部屋だった。私は、昨日の出来事が夢だったのではないかと思った。しかし、胸には確かに、ナイフで刺された跡が残っていた。
私は、すぐに警察に電話した。しかし、警察は、私の話を全く信じようとしなかった。「夢遊病の妄想でしょう」と、鼻で笑われただけだった。
私は、どうしても真実を確かめたかった。再び、夜のデパートに忍び込んだ。しかし、そこは、いつもと変わらない、静かなデパートだった。おもちゃ売り場にも、テディベアの姿はなかった。
私は、途方に暮れた。一体、何が起こったのか?あれは、本当に夢だったのか?
その時、私は、あることに気が付いた。私のポケットの中に、小さなメモが入っていたのだ。メモには、こう書かれていた。「夢遊病デパートは、夢遊病患者の脳内に存在する」
私は、震え上がった。つまり、あのデパートは、私の夢の中にあったのか?そして、テディベアは、私の心の闇なのか?
私は、二度と夜のデパートには近づかないことにした。そして、心の闇を払拭するために、カウンセリングを受けることにした。しかし、時々、夢の中で、あの赤い目のテディベアが、私を見つめているような気がするのだ。
夢遊病デパート。それは、心の奥底に潜む、もう一つの世界なのかもしれない。