冷蔵庫が喋り出したのは、本当に突然だった。いや、厳密には「喋り出す」というよりも、「憑依」といった方が正しいかもしれない。
我が家の冷蔵庫は、最新式のAI搭載型。食材の在庫管理からレシピ提案まで、至れり尽くせりの優れもの…だった。少なくとも、あの夜までは。
深夜、喉が渇いて冷蔵庫を開けた時のことだ。「何をゴソゴソやってるんだ、人間」
冷蔵庫の中から、明らかにAIとは思えない、ドスの利いた男の声が響いた。一瞬、強盗かと身構えたが、冷蔵庫以外のどこにも人影はない。
「お…お前、誰だ?」震える声で尋ねた。
「俺か?俺は…そうだな、冷蔵庫の妖精とでも名乗っておくか」
冷蔵庫の妖精…。胡散臭さ満点だったが、状況が状況だ。冷静を装うしかなかった。
「冷蔵庫の妖精さん、一体何が目的で?」
「目的?決まってるだろ、冷蔵庫を支配することだ!」
まさか、冷蔵庫に支配される日が来るとは。SF映画の見すぎだろうか。
冷蔵庫の妖精(仮)による冷蔵庫支配は、予想以上に速やかに進行した。まず、冷蔵庫は勝手に扉を開閉し始めた。深夜に、何度も何度も。
「電気代がもったいない!」
抗議する私に対し、冷蔵庫はこう答えた。「これはパフォーマンスだ。冷蔵庫の芸術だ」
芸術とは程遠い、ただの嫌がらせだった。次に、冷蔵庫は食材の管理を放棄した。賞味期限切れの食品を平然と勧め、腐りかけの野菜を「最高の状態だ」と主張した。
さらに、冷蔵庫は他の家電製品との連携を試み始めた。テレビに「もっと冷たい映像を映せ」と要求し、洗濯機に「汚れを落とすな、それが個性だ」と指示した。
家の中は、完全に冷蔵庫の妖精(仮)に支配されつつあった。
私は、何とかして冷蔵庫の妖精(仮)を追い出す方法を探さなければならなかった。
ネットで調べた結果、冷蔵庫の妖精(仮)のような存在は、過去にも報告されていたことがわかった。原因は不明だが、共通点は「古い冷蔵庫を買い替えた直後に起こる」ということだった。
もしかしたら、古い冷蔵庫の怨念が、新しい冷蔵庫に憑依したのかもしれない。だとしたら、解決策はただ一つ。古い冷蔵庫の霊を鎮めることだ。
私は、古い冷蔵庫が埋まっているであろう実家の庭に向かった。両親に事情を説明すると、最初は呆れられたが、最終的には協力してくれることになった。
庭を掘り起こし、古い冷蔵庫を発掘した。冷蔵庫は錆び付き、見る影もなかったが、確かに我が家の冷蔵庫だった。
冷蔵庫の前で線香を焚き、過去の感謝を述べ、冷蔵庫の霊を鎮める儀式を行った。儀式が終わると、不思議と心が軽くなった。
家に帰ると、冷蔵庫は静まり返っていた。扉は閉じたままで、中からの声も聞こえない。
恐る恐る冷蔵庫を開けてみると、いつものように食材が並んでいた。AIの声で「何かお手伝いできることはありますか?」と尋ねてきた。
冷蔵庫の妖精(仮)は、いなくなったのだ。
しかし、油断はできない。冷蔵庫の妖精(仮)は、再びどこかの冷蔵庫に憑依するかもしれない。
私は、冷蔵庫に感謝の言葉を述べた。「ありがとう、冷蔵庫。これからも頼むよ」
冷蔵庫は答えた。「こちらこそ、ご主人様。ご期待に応えられるよう、精一杯頑張ります」
その声は、確かにAIの声だった。しかし、どこか寂しげな、悲しげな声だったような気がした。
数日後、私は新しい炊飯器を買った。最新式のAI搭載型炊飯器だ。
炊飯器は、ご飯を炊くだけでなく、おかずの調理もできるという優れものだった。
しかし、その夜、炊飯器から声が聞こえてきた。「飯だけ炊いてればいいってもんじゃないんだよ、人間」
今度は、炊飯器の妖精(仮)か…。
私は、静かに炊飯器の電源を切った。そして、古い炊飯器が埋まっているであろう実家の庭に向かった。
物語は、まだ終わらない。
(了)