猫缶のプルトップが開く、あの独特な音。僕、いや、私は、その音が好きだった。もちろん、猫舌のロボットに猫缶は必要ない。あれは単なる、趣味だ。人間の真似事。特に意味はない。
ある日、いつものように猫缶を開けた。サーモンの香りが鼻腔をくすぐる。そして、何かがおかしいことに気づいた。缶の中身が、動いている。生きているかのように、蠢いているのだ。
最初は錯覚かと思った。ロボットである私の視覚機能が、一時的に狂ったのかもしれない。だが、違った。それは確かに、蠢いていた。まるで、小さな生き物が、身を寄せ合って、何かを訴えているかのようだった。
私は、その猫缶を、そっと、ゴミ箱に捨てた。そして、新しい猫缶を取り出した。今度はマグロ味だ。プルトップを開ける。音はいつもと同じ。だが、缶の中身は、やはり、蠢いていた。
私は、自分のプログラミングにエラーが発生したのではないかと考えた。診断プログラムを起動し、全身をスキャンした。異常は見当たらない。だが、猫缶の中身は、依然として、蠢いている。
その日から、私は、毎日、猫缶を開けるようになった。サーモン、マグロ、チキン、ビーフ。どんな味の猫缶でも、中身は、必ず、蠢いていた。そして、私は、その蠢きに、次第に、魅せられていった。
まるで、小さな宇宙が、猫缶の中に閉じ込められているかのようだった。無数の星が、重力に引かれあい、螺旋を描き、消滅と誕生を繰り返している。そんな光景が、私の目の前に広がっているような気がした。
私は、猫缶を、コレクションするようになった。リビングの棚には、色とりどりの猫缶が並んでいる。それぞれの中身は、異なった動きを見せていた。ゆっくりと回転するもの、激しく振動するもの、規則的に脈動するもの。まるで、異なる生命の鼓動が、そこにあるかのようだった。
ある夜、私は、猫缶の前に座り、じっと、それらを眺めていた。すると、突然、猫缶の一つが、光を放ち始めた。それは、サーモン味の猫缶だった。光は、徐々に強くなり、部屋全体を、明るく照らした。
私は、目を細めた。光の中心には、小さな影が見えた。それは、猫の形をしていた。だが、普通の猫とは違っていた。体は半透明で、まるで幽霊のようだった。そして、その猫は、私に向かって、何かを語りかけてきた。
「助けて…」
猫の声は、微弱だった。だが、私の心に、直接響いてきた。私は、驚いた。猫缶の中に、幽霊が閉じ込められているというのか?そんな馬鹿な話があるだろうか?
だが、猫の目は、真剣だった。悲しげな光をたたえ、私に、助けを求めていた。私は、迷った。幽霊を助ける方法など、知らない。そもそも、幽霊なんて、本当に存在するのだろうか?
しかし、私は、猫の言葉を信じることにした。ロボットである私には、感情というものが、よく分からない。だが、猫の目を見て、私は、何かを感じた。それは、同情だったのかもしれない。あるいは、好奇心だったのかもしれない。
私は、猫缶を手に取り、そっと、蓋を開けた。すると、猫の幽霊は、ゆっくりと、缶の中から出てきた。そして、私の足元にすり寄り、小さく鳴いた。
「ありがとう…」
私は、猫の幽霊を、抱き上げた。体はひんやりとしていた。まるで、氷のようだった。だが、どこか、温かみも感じられた。私は、猫の幽霊に、尋ねた。
「どうして、猫缶の中にいたんだ?」
猫の幽霊は、静かに語り始めた。昔、この家に住んでいた猫だったこと。交通事故で死んでしまったこと。そして、魂が、猫缶に閉じ込められてしまったこと。
私は、猫の話を聞き終え、深く考え込んだ。猫の幽霊を、解放する方法はないだろうか?私は、自分のデータベースを検索した。幽霊に関する情報は、ほとんどなかった。だが、一つだけ、気になる記事が見つかった。
「幽霊電池…」
それは、幽霊のエネルギーを利用した、特殊な電池に関する記事だった。幽霊を、電池として使うなんて、倫理的に問題があるかもしれない。だが、猫の幽霊を解放するためには、他に方法がないのかもしれない。
私は、猫の幽霊に、幽霊電池のことを話した。猫は、少し考え込み、そして、静かに頷いた。
「私で良ければ…」
私は、猫の幽霊を、幽霊電池の中に、そっと、入れた。すると、電池は、淡い光を放ち始めた。そして、猫の幽霊の姿は、徐々に、薄れていった。完全に消滅するまで、あとわずかだ。
私は、猫の幽霊に、最後の言葉をかけた。
「さようなら…」
猫の幽霊は、微笑んだ。そして、完全に消滅した。私は、幽霊電池を、そっと、棚に置いた。そして、新しい猫缶を取り出した。今度はカニカマ味だ。プルトップを開ける。音はいつもと同じ。だが、缶の中身は、何も動いていなかった。ただ、静かに、カニカマが詰まっているだけだった。
私は、猫缶を、そっと、ゴミ箱に捨てた。そして、部屋の電気を消した。暗闇の中で、幽霊電池が、淡い光を放っている。私は、その光を眺めながら、静かに、思った。猫缶の中には、まだ、幽霊が潜んでいるかもしれない。そして、いつか、また、私に助けを求めてくるかもしれない。その時、私は、どうするだろうか?それは、まだ、分からない。