ある夜のことだった。雨脚が強くなり、終電を逃した僕は、仕方なくタクシー乗り場に並んだ。列は長く、なかなか順番が回ってこない。ようやく来たタクシーに乗り込み、運転手に住所を告げた。
「はい、承知しました」
運転手は無愛想で、バックミラー越しにちらりと僕を見ただけだった。車内は静かで、雨の音だけが響いていた。
しばらく走ると、運転手が口を開いた。
「お客さん、この道は初めてですか?」
「ええ、そうです。あまりこの辺りは詳しくなくて」
「そうですか。実はこの道、昔は違う場所を通っていたんですよ」
「違う場所?」
「ええ。このあたりで大きな事故があって、ルートが変わったんです。幽霊が出るって噂もあってね」
僕は少し身震いした。怪談話は嫌いではないが、夜中に聞くとやはり怖い。
運転手は話を続けた。
「その事故で亡くなったのは若い女性でね。いつも白いワンピースを着ていたらしい。夜になると、その女性がタクシーを止めるんだとか」
「タクシーを?」
「ええ。運転手に恨みでもあるのか、タクシーを止めて、目的地を告げる。でも、料金を払わないで消えてしまうんだって」
僕はぞっとした。まるで映画のような話だ。
その時、運転手が急ブレーキをかけた。
「どうしたんですか?」
「…お客さん、あれを見てください」
運転手の指差す方向には、白いワンピースを着た女性が立っていた。雨の中、ぼんやりと光るその姿は、まるで幽霊のようだった。
僕は息を呑んだ。まさか、本当に幽霊が現れるとは。
女性はゆっくりとタクシーに近づいてきた。そして、窓をコンコンと叩いた。
「…あのう、すみません。○○までお願いします」
女性の声は、震えていた。
運転手は無言でドアを開けた。女性は静かに乗り込み、住所を告げた。運転手は再び走り出した。
目的地に着き、女性はタクシーを降りた。
「ありがとうございました」
女性は小さくお辞儀をした。
「…料金は?」
運転手が尋ねると、女性は答えた。
「…料金は、過去に置いてきました」
女性はそう言うと、姿を消した。
運転手はメーターを見た。そこには、ありえない金額が表示されていた。それは、僕が生まれる前の、古い通貨での料金だった。運転手は震える手で料金を受け取った。僕も、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。幽霊タクシー、料金は過去。今夜もどこかで、誰かを乗せているのだろうか。