壁の染み、心霊スポット? そんな安易な考えで近づいた僕が馬鹿だった。いや、正確には安易ではなかった。僕は日々、ネタを探し求めるホラーライター。編集者からは「もっと読者の心臓を鷲掴みにするような、えげつない体験談を!」と、毎日のように檄を飛ばされていた。
だから、見つけたのだ。築五十年は優に超える、木造アパートの壁に浮かび上がる人の顔のような染みを。場所は、かつて火事で一家心中があったという曰く付きの土地。これはもう、書けと言わんばかりのシチュエーション。僕は逸る気持ちを抑え、早速アパートの大家、いや、管理人のおばあさんに話を聞きに行った。
「ああ、あの染みねぇ。もう何年も前からあるんだよ。最初は小さかったんだけど、年々大きくなってきてねぇ」おばあさんは、古びた木製の椅子に腰掛け、遠い目をして語り始めた。「前に入居してた人がね、毎晩のように壁に向かって話しかけてたんだ。『お前は誰だ』とか『何がしたいんだ』とか。気味が悪くてねぇ、すぐに引っ越して行っちゃったよ」。
おばあさんの話を聞き終えた僕は、すぐにアパートの一室を借りた。部屋に入ると、噂の染みが目に飛び込んできた。確かに人の顔に見える。いや、どちらかと言うと、苦悶の表情を浮かべた顔だった。僕はカメラを取り出し、染みをあらゆる角度から撮影した。そして、ICレコーダーを回し、染みに話しかけた。「もし、何か伝えたいことがあるなら、教えてください」。
その夜、僕は眠りについた。しかし、深夜に悪夢で目が覚めた。夢の中では、染みの顔が歪み、僕に向かって何かを訴えかけていた。僕は汗だくになりながら、夢の内容をメモした。翌日も、その翌日も、同じような悪夢を見た。そして、悪夢を見るたびに、染みの顔は少しずつ変化していった。ある日、夢の中で染みの顔が、僕の顔にそっくりになっていることに気づいた。僕は恐怖に震え上がった。これはただの染みではない。僕自身の深層心理が具現化したものなのだと。
僕はすぐにアパートを引き払った。そして、二度と心霊スポットと呼ばれる場所には近づかないと誓った。あの壁の染みは、今も誰かの悪夢の中で、顔を変え続けているのだろうか。